ピラミッドを始め、多くの遺跡があるエジプト観光の中でも、とくに遺跡の宝庫としておすすめのルクソール。「古代都市テーベとその墓地遺跡」として世界遺産にも登録されています。栄華を誇ったファラオたちが眠る、ルクソール西岸にある「王家の谷」には、通常チケットでは入れない、特別王墓が3つ存在します。
- ツタンカーメンの墓
- セティ1世の墓
- ラムセス6世の墓
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これら特別王墓の内部、見どころ、そして3人の墓の主ファラオたちの功績・治世についてご紹介します。画像だけでも大変美しいので、ぜひご覧になってください!(枚数が多いので、ちょっと重いかもしれませんけど)
目次
エジプト・ルクソール西岸の世界遺産「王家の谷」とは
ルクソール西岸にある「王家の谷」は、約3,000〜3,500年ほど前、古代エジプト・新王国時代に君臨したファラオたちの終の住処であり、合計して64の墓が、狭い谷に並んでいます(そのうち王の墓と確認されているのは24)。いわゆる岩窟墓群と称されています。
ナイル川を挟んで、ルクソールの東岸はホテルが立ち並ぶ活気のある街ですが、西岸は砂に覆われた遺跡ばかり。太陽が昇る東側は生者の街、そして太陽の沈む西側が死者の土地という構図は、古代エジプトの時代から今も変わってはいないんですね。
▲王家の谷を含め、ルクソール西岸には数多くの遺跡が点在しています。
気球から見たルクソール西岸。奥にハトシェプスト葬祭殿が見え、王家の谷はさらにその奥にあります。黄土色の砂まみれの土地で、なるほど死者が眠る彼岸にふさわしい場所です。この乾いた風土によって偶然ミイラが生まれたことから、古代エジプトのミイラ作りが始まったとも言われています。
王家の谷の入場口にある模型。右下方向がエントランスです。こうして見ると、たしかに谷になっていますね。小さな小屋が建てられている場所に、各王墓の入り口があります。「これだけ一箇所に固まっていたら、それは墓泥棒に狙われるだろうなぁ」と思いました。
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おもしろいのは、この模型、地下部分もあって、アリの巣のように王墓が続いているんです。手前に伸びているものが特別王墓のひとつ「セティ1世の墓」ではないかと思います。
警備の厳重なエントランスから王家の谷へは、このようなミニトレインで移動します。400メートルくらいでしょうか。別に乗らずに歩いてもいいのですが、激安(10円ちょっと)なので、混んでいない限りは乗ってしまいましょう。とくに冬季以外は猛暑ですから。
「王家の谷」入場料と撮影料金
王家の谷の通常チケットと、カメラチケットの料金は次の通りです。
- 通常入場チケット・・・200エジプト・ポンド(約1,200円)
- カメラ撮影チケット・・・300エジプト・ポンド(約1,800円)
どちらも3墓分、有効です。特別王墓はラムセス6世の墓を除き、原則、撮影禁止です。撮影が許されている通常王墓でも、カメラチケットを持たずに撮影していると、注意されます。1,800円と聞いて「じゃあいいや」と買わずに入って、結局後悔する人は多いと聞きます。その程度節約しても意味がないので、買っておくことをおすすめします。
通常の入場券では、その日に公開されている通常王墓のうち、好きな3つを選んで入ることができます。公開される墓は日々異なるので、運任せのところもあります。
ツタンカーメン・セティ1世・ラムセス6世特別王墓の入場料
通常チケットでは入れない3つの特別王墓の入場料は、以下の通りです。
- ツタンカーメン王墓の入場料・・・250エジプト・ポンド(1,350円)
- セティ1世王墓の入場料・・・1,000エジプト・ポンド(6,000円)
- ラムセス6世王墓の入場料・・・100エジプト・ポンド(600円)
セティ1世の墓が6,000円と、突出していますね。ちなみに「王妃の谷」にあるネフェルタリの墓はそれを上回る7,200円の入場料です。たしかに安くはないですが、これらの特別王墓は、それだけの価値は十分にあります。
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なお、「王家の谷」を含め、ルクソールの世界遺産の各遺跡はクレジットカード払いを受け付けていません。現金しか利用できないので、とくに特別王墓を見る予定の方は現金を多めに持っていきましょう。ルクソール西岸ではATMもあまりありません。
海外旅行はじめて講座 お金は現金両替よりクレジットカードがお勧め!エジプト史上もっとも有名なファラオ・ツタンカーメンの王墓(KV62)
説明するまでもないかも知れません。王家の谷だけでなく、古代エジプトに君臨したファラオのなかでもっとも有名な人物こそ、かのツタンカーメンです。KVとはKings Valleyの略で、各王墓にはナンバーが振られています。
意外にも質素なツタンカーメンの墓
▲ツタンカーメン王墓への入り口。KV62。
より正確には、「トゥト・アンク・アムン」と呼ばれるツタンカーメンの王墓。王家の谷=ツタンカーメンの墓、というイメージも強いでしょう。ただ、実のところ、王墓の大きさや壁画のクオリティといった面から見ると、ツタンカーメンの墓は、その他多くの王墓に劣ります。
ツタンカーメンのそれは、ファラオの王墓とは思えないほど小さいもので、壁画や装飾も取り立てて見事というわけではありません。むしろ壁画などは稚拙にさえ見えますし、とくに、本記事の後半で取り上げるセティ1世、ラムセス6世の素晴らしい壁画に彩られた巨大な王墓とは、比較にすらなりません。
しかし、この小さな王墓から世紀の大発見がありました。黄金のマスクを始めとして、ほぼ完全に盗掘を免れた王家の谷で唯一の墓。その考古学的・美術的価値だけではなく、その後の「ファラオの呪い」の噂など、これほど古代ロマンを感じさせる遺跡もないでしょう。
残念ながらツタンカーメン王墓の内部は撮影禁止なので、この項では、発掘にあたったハワード・カーターが住んでいたカーター・ハウスにあるレプリカ部屋と、パブリック・ドメインの写真を使いたいと思います。
カーター・ハウスで撮影した玄室のレプリカ。部屋ぎりぎりの大きさの聖廟の中心部に、ツタンカーメンのミイラは眠っていました。
ツタンカーメン王とは
ツタンカーメンことトゥト・アンク・アメンという名は、「アメン神の顕現」を表します。歴史上もっとも有名なファラオであるツタンカーメンですが、その知名度とは裏腹に、ファラオとして大きな功績を残したわけではありません。「少年王」とも称されますが、紀元前1,300年代に君臨したツタンカーメンの治世はわずか9年間、18歳の若さでこの世を去りました。
▲ツタンカーメンのミイラに被せられていた黄金の仮面|エジプト考古学博物館所蔵 引用元:Wikimedia Commons
ファラオは、一般に、その座に着くと権力を振るって自身の豪華な墓を作らせます。幼くしてファラオとなり、10年も満たない治世で没したツタンカーメンの王墓が極めて小さいのは、長大な墓を用意するほどの時間や権力がなかったのが原因だという説もあります。なにせ9歳で即位しましたからね。
ツタンカーメンの家族と近親婚による遺伝疾患
父はイクナートンことアメンホテプ4世。母の名は伝わっていませんが、父イクナートンの血のつながった姉妹であったため、近親婚であり、ツタンカーメンは遺伝的疾患を抱えていました。180センチほどと長身だったようですが、つま先が欠損していたため杖を使っており、座ったまま弓を射る壁画などが見つかっています。
ツタンカーメン自身、近親婚をしています。結婚相手であるアンケセナーメンは異母姉でした。そのせいか、二人の娘が生まれましたが、生まれて間もなく亡くなっており、ツタンカーメン王墓から幼児の遺体が二体、見つかっています。
ルクソール東岸のルクソール神殿には、ツタンカーメンと妻アンケセナーメンの像がありました。仲は良かったらしく、ツタンカーメンの棺の上にはアンケセナーメンが手向けた花があった、という説もあります。
ファラオ・ツタンカーメンの功績
9歳でファラオの座に着いたので、実質的な権限はなかったでしょうが、父イクナートンによる過激な宗教改革を元に戻した点があげられます。イクナートンは、それまでの主神アメン神から、アテン神へ強制的に改宗を推し進め、都も移してしまいました。
幼いツタンカーメンの治世で実質的な権力を握ったのは、旧神であるアメン大神官のアイと見なされています(次代のファラオもアイだった)。アイはツタンカーメン王墓玄室の壁画にも登場しており、下の写真の通り、「開口の儀式」を行なっています(錫杖の棒を持つ右端の人物)。
中央の人物がツタンカーメンで、右上のカルトューシュ(枠で囲まれたヒエログリフ)にはツタンカーメンの即位名が書かれています。「開口の儀式」とは、ミイラの口を杓で開くことで、死後も飲み食いできるようにしてあげるものです。
実質的にはアイの方針によってアメン神への信仰が復活し、都もメンフィス、テーベへ戻ります。ツタンカーメンという名前自体、元々はトゥト・アンク・アテン(アテン神の顕現)だったものをトゥト・アンク・アメン(アメン神の顕現)に変えたものです。
エジプト考古学史上に残る大発見:ツタンカーメンの王墓と見どころ
まさに世界を揺るがせたと言っていい、ツタンカーメン王墓の発見。1922年、イギリス人ハワード・カーターによって、唯一、墓泥棒の被害を(ほぼ)まったく受けていない完全なファラオの王墓が発見されました。
隠されていた玄室と廟、棺
ツタンカーメンのミイラが眠る玄室は、当初、盗掘よけの壁によって隠されていました。
発掘時の写真です。前室にはびっしりと宝物が詰め込まれていました。それらも大変貴重な文物ですが、運び出すと、玄室への入り口が隠された壁が現れました。糊塗されているのがうっすらとわかりますね。
壁を崩したところ。地下洞窟に隠し部屋があるなんて、まるきり映画やゲームの世界です。これを発見したときのカーターの興奮や高揚感はいかほどだったでしょう! 総毛立ったことと思います。壁の向こうに見えているのは、ツタンカーメンのミイラが眠っていた、巨大な聖廟の外壁です。
聖廟の実物。本物の黄金で輝いています。カイロのエジプト考古学博物館で見ることができます。この内部では、さらに小さな廟や棺桶が、マトリョーシカ人形のように何重にもかさねられていました。
現在王墓内に残っているのは[a]の石棺で、中には金色の棺(レプリカ)が据えられています。
マトリョーシカ状の聖廟。一番下の石棺が、今も玄室内にあるものです。
聖廟がいかに巨大だったかわかるかと思います。ほぼ壁画を隠してしまうほどの大きさで、壁との隙間はわずか30cmしかありませんでした。
あまりにも聖廟が巨大だっため、運び込む際に、玄室の壁の一部を崩した様子が見て取れます(左方向)。その横にはアヌビスとイシスに挟まれて立つツタンカーメン。右側の壁画にあるヒヒは、古代エジプトでは、トート神の化身となることもある聖獣でした。
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マトリョーシカのもっとも内側にあった黄金の棺を検分するカーター。この中に、黄金の仮面をかぶったツタンカーメンのミイラが眠っていました。
今でも王家の谷で眠るたった一人のファラオ
すでに述べたように、ツタンカーメン王墓の壁画や墓の構成は小さく、内部にあった見事な黄金の副葬品も、すべて博物館に移されています。その意味では大した見所はありません。しかし王家の谷にある王墓のなかで唯一、ツタンカーメンのミイラだけが、今でもその終の棲家に眠っています。
ツタンカーメン王墓での見所は、ファラオのミイラをその王墓のなかで見られるということに尽きます。宝物庫の左手に、ケースに納められた状態で、ツタンカーメンは仰向けで眠っています。頭部と足先が布の先から出ており、つま先が欠損していることが見て取れます。
彼のために作られたこの玄室の中で3,000年もの間、聖廟の奥、黄金の仮面をかぶり、暗闇に包まれてひっそりと静かに横たわっていたことを考えると、時間の流れというものに圧倒されてしまいます。
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王家の谷の最高傑作・深淵へと下るセティ1世の王墓(KV17)
実に6,000円という高額の入場料を取るセティ1世王墓。特別王墓の中でも、別格の扱いです。
高額の入場料を取るだけあって、他の王墓とは規模においても、壁画の完成度とクオリティにおいても、圧倒的な違いがありました。セティ1世の王墓は、王家の谷でもっとも長い140メートル近くの長さを誇ります。
セティ1世とは
セティ1世は、古代エジプト第19王朝の第2代ファラオで、紀元前1200年代に10~15年間ほど、ファラオとして君臨しました(諸説あり)。今から3200年ほど前の王ですね。セティという名前は「セト神に奉ずる者」といった意味になります。セト神はツチブタの頭部を持ち、日本ではより知名度のあるホルス神とライバル関係にある強力な神です。
セティ1世のミイラ
セティ1世のミイラは残念ながら墓泥棒によって頭部を切断されていましたが、変色こそしているものの非常に保存状態がよく、生きた人間と見まがうばかりの表情と質感を保っています。
ふつうのデスマスクのようですね。なかなか男前ではないでしょうか。現在はカイロにあるエジプト考古学博物館で見ることができます。
セティ1世の功績
セティ1世は、父親である前王ラムセス1世から王位を引き継ぎ、ヒッタイトなどの周辺国と積極的に交戦した、軍人肌のファラオでした。ツタンカーメンの項でも触れた、イクナートンによる宗教改革の混乱がようやく落ち着き、エジプトが再び強国として力を取り戻しつつあった時代に君臨した王でした。
▲アブシンベル大神殿。
セティ1世の息子はあの大王ラムセス2世で、その時代に新王国は最大版図を実現し、最盛期を迎えます。ラムセス2世といえば「建築王」の異名を取り、アブシンベル神殿などの巨大遺跡を残したことでも有名ですが、父王セティ1世が着工したまま残した、未完成の遺跡の仕上げをしたケースも多かったそうです。
セティ1世の王墓の見所
セティ1世の墓は、まずなによりも王家の谷でもっとも長く、地中深くへ潜る王墓であることが特徴として挙げられます。壁画は他の王墓にはない完成度で、呪術的な「死者の書」が壁面に書かれたなかをどんどん下へ降りていく行為そのものが幻惑的であり、死出の旅路に向かうファラオや、探検家たちの追体験をしている気分になります。
セティ1世の王墓は1817年にイタリア人ジョヴァンニ・バティスタ・ベルゾーニによって発見されましたが、当時、通路には、彩色に使われた絵の具や絵筆がまだ落ちている状態だったそうです。
ファラオを守る葬祭文書「門の書」「聖牛の書」
墓泥棒を殺すためのトラップでは?というほど深い部屋に渡された通路をすぎると、「門の書」の部屋に到達します(マップの1番)。「門の書」は、死んだ後、待ちかまえる何体もの女神の門を突破できれば死後の世界で再生がかなうという内容です。
セティ1世王墓はその全体が「門の書」や「聖牛の書」などさまざまな装飾で彩られており、このような様式は、のちに続くファラオの墓作りに大いに影響を与えました。
通路の途中にある壁画。鮮やかです。ワニも古代エジプトでは神様でした。ナイル川にも生息しているため、畏れを持って崇められたのでしょう。世界を創造する混沌から初めて生まれたのも、ワニ頭の神様セベクでした。ナイル川クルーズで訪れるコム・オンボ神殿がセベク信仰の中心地として有名で、その近辺ではよくワニが日光浴していたそうです。
セティ1世王墓の荘厳な玄室
通路を深く深くくだり、やがてたどり着いた玄室の壁面は、重厚で、大変美しい壁画で埋め尽くされていました。効果的な照明の使い方もあって、この玄室だけがどこか冥界深くの別次元にあるような印象を受けます。すばらしいとしか言えません。
ため息がでるほどの美しさ。ご覧のように、天井まで相当の高さがありますが、すべて壁画やヒエログリフで埋まっています。ファラオの王墓にふさわしく荘厳で、壁面は黄金に輝いて見えます。この王墓に匹敵するものは、同じように特別入場料1,200エジプト・ポンド(約7,200円)を取る王妃の谷にあるネフェルタリの墓だけです。
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写真左手に、木枠で遮られた小さな側室への入り口が写っています。このうちのひとつが、「聖牛の書」の部屋です。
「聖牛の書」と天空の女神ヌト
他に観光客もおらず、暇だったのか知りませんが、墓の中にいた案内人(兼監視役)が、木枠も横にどけて、側室に入れてくれました。まるごと「聖牛の書」に捧げられた貴重な部屋です。これはかなり大きなレリーフで、1.5メートルほどあったでしょうか。聖牛の姿をした天空の女神ヌトが、8柱のヘフ神に支えられています。ヌトは死と再生を司り、ファラオの墓や棺の内壁には、よく描かれています。
「聖牛の書」は、太陽神ラァにそむいた罰として、これも牛型の神様であるハトホルによって、人類が滅亡寸前に至った経緯を描いています。ここにあるのは、現存する3つの完全な「聖牛の書」のうちのひとつです。
部屋の発見時、中には実物の牛のミイラがあったため、セティ1世の王墓は「牛の墓」という異名もでも知られています。
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王家の谷での写真撮影・カメラ持ち込みの注意点について
ところで、上の方で記念撮影してもらった写真は、墓の案内人が「写真撮ってあげるからカメラよこしなよ!」と撮ってくれました。セティ1世の墓は撮影禁止にもかかわらず、です。「あとでチップ請求されるんだろうなぁ」と思っていたら、案の定されました(笑)。
特別王墓など、撮影禁止の墓で撮影できるかどうかは、その場にいる案内人とタイミング次第だと思います。わたしの場合、ほかに観光客がまったくいなかったので、そのおかげもあるでしょう。
ただし、許可を得ないまま隠れて撮影するのは絶対にやめたほうがいいです。王墓の中には、監視カメラが付いているところもあります。許可を得ずに撮影して「今撮った画像を確認させろ」と詰め寄られている観光客の姿も目にしました。
最悪のケースでは、該当する王墓だけではなくその日に撮影した写真すべて消去させられた人もいるそうです。無断での撮影はやめておきましょう。ダメ元で聞いて見るほうがまだ良いです。
古代エジプトの神々から祝福を受けるセティ1世
玄室には何本もの柱があり、それらに刻まれたレリーフも、他の王墓とは明らかに厚みと発色が違います。柱には、様々な神と向き合うセティ1世の姿が描かれています。右の柱には、ジャッカルの頭でおなじみアヌビス神。
頭の上に鴨が乗っているのは面白いですね。こちらはゲブ神で、先ほど出てきた聖牛ヌト神の兄であり、夫です。ふたりの間にエジプト神話の強力な神オシリス、イシス、セト、ネフティスが生まれています。
左の柱には、冥界の神オシリスと向かい合うファラオ。その側面で右腕をあげているのは、ホルスでしょうか。天井には星がまたたいています。右の柱にいるセティ1世は、生命の象徴アンクを手にしています。ツタンカーメンこと「トゥト・アンク・アムン」のアンクもこれを指しています。
王墓内の装飾は、ファラオが死後の世界で天国へ行けるような呪術的目的で描かれていました。それをパピルスに写していわゆる「死者の書」ができました。
このディテールの繊細さ、できればもっと大きな画像でご紹介したいくらいです。水平に走る紺の線はナイルを表します。左壁の船にはまたワニが乗っているのが見えますね。天井には星の動きが描かれています。
ここにもオシリス。オシリスは下半身はミイラとして布を巻かれており、肌は緑色、上エジプトの支配者の王冠ヘジェトにダチョウの羽がついた冠をつけています。穀ざおと杖を手にしており、これらはやがてファラオを表す象徴として使われるようになりました。
セティ1世特別王墓に入場料6,000円の価値はあるか?
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いや、たしかに高いです。たったひとつの墓に入るための価格としては、他に例がないと言えます。広大なアンコールワット遺跡全域でも、一日券ならずっと安いですからね(笑)。
しかしそれだけの価格をつけるだけの素晴らしい壁画が残っていますし、玄室に降りて行くまでの王墓の構造そのものが魅力的です。わたしが撮影できた写真は、王墓のごく一部にすぎません。残念ながら19世紀初頭の発見以来、遺跡の保存状態は極度に悪化し、2016年までの数年間は一般公開も行なわれていませんでした。いつまた閉鎖になるかもわかりません。
高額の入場料を課すことで入場者数を制限でき、さらなる発掘資金にも充てられるのはとても良いアイディだと思います。これまで遺跡系の壁画としてはインドのアジャンターが一番美しいと思っていたのですが、王家の谷・王妃の谷の壁画はそれを超えるものでした。
世界遺産100カ所旅行した私が選ぶ!遺跡〜絶景までお勧めランキング考古学や美術や歴史や遺跡が好きで、何時間も飛行機に乗ってはるばるとエジプトまで訪れるみなさん。ここで6,000円程度ケチって見逃すのはあまりにもったいないですよ……!
エジプトまでの行き方ですが、わたしの場合、ANAマイルを使ったビジネスクラス特典航空券で、カイロまで飛びました。その後は、カイロ→アスワン→地上移動→ルクソール→カイロと、エジプト航空を利用しました。エジプト航空はANAと同じスターアライアンスなので、便利です。
▲経由地デュッセルドルフまで乗ったANAビジネスクラス
JALマイルを利用するなら、中東で距離が近いエミレーツ航空を利用するのがぴったりだと思います。もしくはヨーロッパ各都市から行くのが良いですね。
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ビジネスクラスやファーストクラスに、一年目から乗っている人もたくさんいるほどです。わたしが100以上もの世界遺産を回れることができた秘訣でもあります。
ANA、JALマイルの貯め方については、それぞれ次の記事に詳しいです。よかったらエジプト行きの参考にしてみてください
大量JALマイルを貯める方法! 初心者必見のJALマイルの貯め方と陸マイラー的裏技! ANAマイルの貯め方①100万マイルを貯めて48ヶ国を旅した方法きらびやかな特別王墓・ラムセス6世の墓(KV9)
セティ1世の墓を荘厳とするなら、ラムセス6世王墓は、より明るく、華麗と形容できるかもしれません。
看板の名前をよく見ると、ラムセス5/6世となっています。実はこの墓、ラムセス5世が作っている最中のものを、王位を継いだラムセス6世が自分のものにしてしまった王墓なんです。ラムセス6世がクーデターを起こしてラムセス5世から王位を簒奪したという見方もあるそうです。
王名も書き換えられたあとが確認されています。「あなたたち死後の世界信じてたんでしょう? そんな罰当たりなことしていいの? 死後ラムセス5世に会ったら怒られるでしょ?」なんて思っちゃいますが(笑)。
ラムセス6世とは
ラムセス6世は第20王朝5代目のファラオで、紀元前12世紀に8年ほど君臨しました。ラムセス3世と、イセト・タ=ヘムジェルトの間に生まれました。先代のファラオであるラムセス5世は彼の甥にあたります。その墓を奪ってしまったのだから悪い叔父さんです。
上の写真、王家の谷のそばにある、父親ラムセス3世が建てた葬祭殿(おすすめの遺跡!)の壁画には、王子の一人として、ラムセス6世の姿が刻まれています。
ラムセス6世王墓に一歩足を踏み入れると、白地の壁が続き、ツタンカーメンやセティ1世の重々しい王墓と比べると、明るい印象を受けます。しかしこの華麗な墳墓と比較すると、ラムセス6世自身の功績はほとんど伝わっていません。ラムセス6世の時代、エジプトは国力を失い、カナン地方など、ナイルデルタ以東の領土をすべて失ってしまいました。
ラムセス6世最大の功績? ツタンカーメン王墓との関連
ラムセス6世の墓を造成するに当たり、作業小屋が建てられました。そのうちの一つが、ツタンカーメン王墓の入り口の真上に位置していたんです。それがツタンカーメン王墓が盗掘にあうことがなかった理由のひとつとされています。
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ラムセス6世のミイラ
ラムセス6世王墓は彼の死後20年ほどで盗掘にあい、傷つけられたミイラは、ピネジェム1世によってアメンホテプ2世の王墓(KV35)へ移され、長い時を経て1898年に発見されることとなります。
気の毒なことに、ラムセス6世のミイラがまとっていた財宝を剥ぎ取るため、墓泥棒によって遺体は激しく損傷されてしまいました。
ラムセス6世王墓の見所
ラムセス6世王墓のハイライトはなんといっても壁画です。完全な形で葬祭文書の「洞窟の書」や「門の書」が残っています。
一本道ではありますが、ラムセス6世の墓も、相当の奥行きがあります。華々しささえ覚える壁画です。長い通路を進んだ後、オシリス神が2体描かれているその下には、さらに底へと降りていく階段が続いています。左側の壁には「門の書」が描かれています。
右の壁には「洞窟の書」。「洞窟の書」は、太陽神「ラァ」が毎夜、西に没してから、地下世界を通り、翌朝東側に登るまで旅する様を描いています。ここで出てくるのがセティ1世王墓で出てきた聖牛こと天空の女神ヌト。
天井に描かれているのが天空の神ヌトです。写真下部、日没とともに、彼女は太陽ラァを飲み込んでいます。夜の間、ラァは彼女の体内を通り、また東の空へ登ります。ヌトは毎晩毎晩太陽を飲み込んでは出産するわけで、なかなか大変です。
第二廊下の天井には「生と死の書」にあるラァの旅路が、壁には「アムドゥアト」という冥界の書が描かれています。ディテールを見ていくとどれだけ時間があっても足りません。奥に石棺が見えてきました。
ラムセス6世の墓 玄室
ついに玄室に到達しました。なんと劇的な構図。奥に眠る石棺がとんでもない存在感を放っています。
玄室の右壁面。ミイラはこちらに入っていました。この石棺の朽ち具合もたまりません。描かれているのは、「洞窟の書」と対をなす葬祭文書「地の書」。左上には足が見えていますね。またまた天空の女神ヌトのものです。
こちらは左側の壁。実に鮮やかです。下部には首を切られた敵兵たちがいます。そして上部、天井をよく見ると、女神ヌトの頭があります。
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天井を引いて撮ったところ。ヌトの体内を太陽が東へ進んでいくのがわかります。天空を覆う巨大なヌトの手足は、それぞれ東西南北を指し示すとされています。
サコルファガス。石棺の蓋の装飾部分です。巨大で存在感があります。
ヒエログリフも見飽きません。左から3行目、下から2つめのゾウナマズっぽいのが個人的に気になります。ヒエログリフは表意文字と表音文字がミックスされたものだそうですが、母音を書かなかったため、意味は解読されていながら、どのような発音だったのかは、正確にはわからないといいます。
カルトゥーシュ。古代エジプトの壁画はどれも腕を上げて「ヨッ」「ホッ」と掛け声を出してそうなポーズが多いです。
こっちの柱でも「ヨッ」、あちらの柱でも「ホッ」。
玄室から入り口方面を見ても、これまた見事な壁画に見とれてしまいます。トート、ホルス、クヌムなどの古代エジプト神話を代表する神々が見えます。
エジプト旅行におすすめの入門書
エジプトを旅するなら、古代エジプト神話についてある程度の知識を持っていた方がググーッと楽しみが広がります。
「古代エジプト 失われた世界の解読」は、古代エジプト言語学者の手による歴史書で、おおよその古代エジプト史の流れを体系的にとらえることができます。ホルスとセトの戦いや当時の詩篇の翻訳など、読み応えがあります。
「古代エジプトうんちく図鑑」は、手書きの漫画エッセイのような感じで、エジプト神話や各神様について教えてくれるので、非常に読みやすく、そこまで本格的な読書はいいかな、という方にもおすすめですよ。
また「雑誌PEN [古代の美を探して、エジプト]」は雑誌とあってビジュアル面で華やかで見応えがあり、とてもよい特集号でした。出発前に、これに目を通しておくだけでもだいぶ違うと思います。
右の柱には創造神プタハ。身体はミイラとして包まれていますが人の形をしています。闇の神でもあるため、アブシンベル神殿でただひとりだけ光があたらないように設計されている神様が、この方です。
美しい壁画を名残惜しく見ながら、地上へつづく階段をあがっていきました。ここで3,000年間眠りにつきたいとは思いませんが、一日ずっと、あちこちの王墓を見ていたいなと思いました。まさにエジプト観光のハイライトとなりました。
まとめ 「王家の谷」はエジプト旅行のハイライト
ここまで画像を見てくださった方なら、今さら説明するまでもないですよね。3つとも、十分に特別入場料を払うだけの価値はあります。行きましょう。入りましょう。ミイラになりましょう。
そしてまた、この記事の写真には、ほとんど人の影が写っていないことにも注目してください。エジプトが一番混み合うベストシーズンである年末年始に行っても、これだけ空いているなかで観光できたんです。すべての墓で、ひとりきりの贅沢な時間を持つことができました。
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また文中でもご紹介した、エジプトまでビジネスクラスでもお手軽に行けてしまうマイルの貯め方の記事などもご参考になるかと思います。ぜひ王家の谷の特別王墓を訪れてみてください。トート(Twitter)でした!
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